1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2019/06/19 (Wed) 11:45:11
「軽井沢を楽しむ掲示板」という事ですので投稿させて頂きました。
軽井沢が好きで短期間ではありますが毎年に近いぐらい足を向けております。
足を向けるたびに感じる事なのですが、今となっては時代の流れにそって人の集まる事情や諸々の変化で軽井沢も随分と変わってしまったなぁ・・・というのが正直な実感です。
私の中にはいつまでも古き良き時代(?)として1970年後半~1980年代にかけての軽井沢が存在しています。
その当時の情報とか状況を検索しても得られる情報(記憶)はたかが知れたものです。
何方かその当時の軽井沢の事情に精通していらっしゃる方がおいでになりましたら回想できる懐かしい書き込みを楽しみに待っております。よろしくお願い致します。

Re: 1970年後半~1980年代

  • ハジ
  • 2019/06/20 (Thu) 19:04:07
夜更かし大魔王さんはじめまして。
私は軽井沢のイメージを刷り込まれたのが、70年代の前半です。
天皇陛下(昭和です)がお召し列車でやって来て、駅前に赤い絨毯が敷かれたのが記憶に残っています。

80年頃東京で免許を取り車を買ったので、暇なときはいつも軽井沢。旧碓氷峠で運転の練習をしていました。その頃までは時が進むのもゆっくりで軽井沢は変化がない、変化がなさ過ぎて寂れていくイメージもありました。
その後、アウトレットができて少し開けた感じもありましたが、さほど混雑もしていなくて、のんびりしていました。

大きく変わりだしたのは、やはり新幹線の開通からですね。
巨大な駅ができて、アウトレットも大きくなって、客層も変わって⋯。あとは今に続く開発ラッシュ。
「軽井沢バブル」と言われた時代の後リーマンショックがあって、別荘地が売却・分割されて、小っちゃい別荘ばかりになってしまったのも印象的でした。

街が変化していくのはあたりまえなのですが、徐々にどこにでもある普通の街になっていくのがちょっと寂しい気はします。

今、近所にメガソーラーの建設話が持ち上がっています。昔の軽井沢だったら考えられない事かもしれません。
軽井沢はこれからもどんどん変わっていくのでしょうが、ただの田舎町にならないよう、できることはしないといけないと思う、昨今です。

すいません、とりとめのない話になりました。
今後ともよろしくお願いします。



Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2019/06/22 (Sat) 20:59:29
ハジ様、はじめまして。
ご丁寧なコメント、有難うございます。


>すいません、とりとめのない話になりました。

とんでもございません。以前よりとりとめのない話が出来る方を
探しておりました。接点を持たせて頂けて光栄に思います。

私も軽井沢にはいろんな思い出があり、学生の頃からの良い思い出がいっぱいです。
大事な人たちと共に時間を共有した事・・・。
軽井沢にはノスタルジックな回想が尽きません。

そんな思いが尽きなく、毎年のように足が向いてしまうのでしょうね・・・。

という事で、今週末に軽井沢に行きます。

今後ともよろしくお願い致します。

Re: 1970年後半~1980年代

  • HAL
  • 2019/06/24 (Mon) 20:57:46
夜更かし大魔王様、はじめまして。
私の軽井沢は1980年代前半から始まります。大学の研修所が軽井沢にあり、ゼミの合宿後にその頃夢中だった「軽井沢シンドローム」の、今で言う聖地巡礼が始まりです。その後、何度となく軽井沢を訪れました。
この頃はレイクニュータウンが絶頂期で、西洋のお城の外観をした三越の夏季限定営業店などがあり華やいでいました。一方で塩沢湖の方は、クレー射撃場があるくらいしか記憶にありません。
ハジ様の仰る通り、新幹線が開通した、長野オリンピックが開催されたころから状況が変わったように思います。レイクニュータウンは、お城もなくなりすっかり寂しくなりました。塩沢湖の方は各種ミュージアムができ、風越公園も含めて華やかになりました。
無くなったものもたくさんありますが、新しく変化したもの、できたものもあるように思います。そんな軽井沢を見つめてゆくのもいいのかな、などと思っています。もちろん、あの頃は懐かしいですけどね。

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2019/06/24 (Mon) 22:32:03
HAL様、はじめまして。コメント、ありがとうございます。
ハジ様、こんばんは。

その頃のレイクニュータウン、確かに絶頂期でしたねぇ。
レマン湖の水辺に沿って存在していたブテック、アクセサリー類、雑貨を販売するファッション・ヴィレッジなどは人で溢れんばかり活気があり、湖畔を囲むような細い通路なども多くの人が行きかう光景が記憶にシッカリ残っております。湖面には沢山のスワンボートが浮かび、ボート同士がぶつかってしまい、その時のぶつかり音もハッキリと記憶に残っております。
レイクニュータウンの中のホテル(確かブルー・シャトー???)に宿泊した事もありました。

本当に皆様の書き込みの一つ一つに懐かしさを感じずにはいられません。これからも、もっといろんな1980年代の軽井沢を書き込んで頂けると嬉しいです。

楽しみにお待ちしております。

これからも宜しくお願い致します。

Re: 1970年後半~1980年代

  • みみこ
  • 2019/06/25 (Tue) 20:46:56
 
皆さん、こんばんは。
ご無沙汰しています、みみこです。
大魔王さんの投稿を読んで、とても嬉しい気持ちになりました。
私の中でも、70年代の軽井沢が輝いています。
レイクニュータウン、おしゃれでしたね!
皆さんご存じないかも知れませんが、中軽井沢が輝いていた時代
でした。
朝から一日中、テニスをして中軽西武でお買い物、星野温泉の太陽の湯で汗を流す、そんな過ごし方でした。
でも、雨が降ると何もできずにいました。
その点、今は美術館も、アウトレットモールあって、いい時代だとも思えます。
私にとっては軽井沢はいつも大好きな、特別の場所です。

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2019/06/26 (Wed) 12:13:30
みみこ様、はじめまして。
コメント、ありがとうございます。

ハジ様、HAL様、こんにちは。

曖昧な記憶の基に私の勝手な数々の懐かしい想い出を書き込ませて頂いているのに、それに対して多少なりとも想いを共有して頂ける方がいらっしゃるのは嬉しいです!!

みみこ様に於かれましては70年代の軽井沢が輝いておられたのですね・・・?

私もほぼ同じ頃合に大学のインターカレッジ・サークルでテニスのイベントに参加した事があります。
プリンスホテルそばの「サニー・ヴィレッジ」という施設を貸切にした大掛かりなイベントだったのですが本当に楽しかったです。テニスの合間に仲間と旧軽銀座や塩沢湖(当時は塩沢湖遊園?、塩沢湖パーク?)、レイクニュータウンなどに繰り出して・・・、本当に楽しい時間でした。

旧軽銀座に於きましては行きかう人の数も半端無く多く、賑わっていました。
銀座通り入り口の「白石青果店」から20~30メートル進んだあたりの右側の「カフェ水野」で店と通りの仕切りで高さが腰くらいの赤レンガ造りのフェンス越しにテラス席の先客の仲間と話したり・・・。
店の前に生えていた白樺の木が今も寂しそうに生えています・・・。

なんだか纏まりのない文になってしまいましたが、そんな時代の軽井沢がたまらなく懐かしくて大好きです。

ご迷惑でなければこれからも想い出した記憶を基に書き込みをさせて頂ければ幸いです。
皆様、よろしくお願い致します。


Re: 1970年後半~1980年代

  • 大林
  • 2019/07/09 (Tue) 15:04:11
ご無沙汰しています。ここへはほぼ6年ぶりの投稿です。

>夜更かし大魔王さん

1970年代の軽井沢は今よりも、良い意味での活気がありましたね。そして、より「軽井沢的」でした。その時代を懐かしむ人は多いと思います。

祖父が、「軽井沢の贅沢は、自然に親しむことと読書だ」とよく言っていましたが、私にとっても軽井沢の思いでと読書は切っても切れない関係にあります。普段読む気にはなれない本も、軽井沢では読めてしまうという、不思議な力が軽井沢にはあるようです。

当時、旧道を少し入ったところに「三芳屋書店」という本屋さんがあって、私も頻繁に出入りしていたのを思い出します。この本屋さんがなくなったときはガッカリしましたが、その後「平安堂」ができて、2018年からはその場所に「軽井沢書店」ができています。歩いてはいけなくなりましたが、とりあえず、軽井沢での読書生活は維持できるということで、まずは一安心です。

Re: 1970年後半~1980年代

  • ハジ
  • 2019/07/09 (Tue) 15:41:55
大林さん、こんにちは。ご無沙汰しております。

そうそう⋯、軽井沢の書店は決して広くはないものの、この地で読みたい本との出会いがありましたよね。
「平安堂」が「軽井沢書店」になってからまだ訪れる機会がありませんが、どうなのでしょう?
Amazonで探せばどんな本でも見つかる時代ですが、読みたい気分にさせてくれるリアルな書店は貴重ですね。

Re: 1970年後半~1980年代

  • 南軽 太郎
  • 2019/07/12 (Fri) 17:26:06
夜更かし大魔王 さん!
私も、軽井沢滞在は1960年代ですので概ね、軽井沢の情景は同じものかと思います。
・当時は、たいした用事もなく旧軽銀座を闊歩して「水野」でお茶をすすりながら、悪友が通るのを待ち構えて誘い込んだり、食事をしたり、女性が来れば」「ベルコモンズ」をふらついたり・・時として人生を語った場所でもありました!
・社会人になっても、中軽でテニスの真似事で夏季の短期間を滞在をしていましたが、軽井沢よりもヨットにのめり込んでしまい、全く忘れていました!
・久しぶりに仕事で訪れた軽井沢は、オリンピック景気で不動産屋(当時は、後藤不動産位かな)が街に溢れ、新しい軽井沢が出来掛かっていました。
・その後、転勤も絡んで軽井沢からの新幹線通勤が可能となり終の棲家として小屋を建てました。
・それから、20年が経過した今、小屋の周囲には豪華な別荘が建ち、家の周囲は生垣・落葉松に代わってフェンスに囲まれています。
・隣に越して来ても、挨拶もしないし、不釣り合いな大きな犬を飼い、近所の迷惑顧みず・・

こんな、軽井沢に誰がした・・結局は、東京に家を建て替えて静かに余生を送っております!
 しかし、今の軽井沢の住民・別荘族にも昔からの風習を大切にされている方が居りますので、時として楽しく時間を過ごさせてくれる高原でもあります!

・懐かしい想い出話でも楽しみにさせて頂きます!

Re: 1970年後半~1980年代

  • 大林
  • 2019/07/14 (Sun) 10:28:42
南軽 太郎さん

軽井沢のアイデンティティーとは、ミッションというストイックな精神に端を発する「伝統」と、現上皇のロマンスの発祥地であるという「格式」(こんな言葉が適切かどうかわかりませんが)に加えて、「素晴らしい自然と、これをスポイルしない程度の都会的便利さとの絶妙なバランス」であると考えています。

ここが、他の避暑地(には失礼ながら)とは質を異にする点はないでしょうか。

特に、この自然と便利さのバランスは重要で、これが崩れると、そのアイデンティティーが大きく損なわれてしまうでしょうし、現に損なわれつつあるように思います。

とは言っても、やはり軽井沢は今でも素晴らしいですね。滞在している間だけは精神が浄化されるような気がしますから。

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2019/07/15 (Mon) 15:33:12
皆様、こんにちは。

先日、テレビのバラエティ番組で軽井沢が特集されておりました。
その中で「新幹線が軽井沢の全てを変えてしまった」というようなフレーズがありましたが、同感する想いでまたまた昔を回想しておりました。

私は都内在住でしたので、関越がまだ前橋までしか開通していない時代は前橋から18号に入り碓氷峠(バイパス)を経由して軽井沢を目指すルートを使っていたのですが、今の時代と違って必然的な安中市内の渋滞や、時と場合によっては台風の影響での碓氷バイパスでの落石による通行規制などなど・・・、いろんな状況をクリアしてやっと軽井沢という地に足を踏み入れた時の細やかな感動があった事を覚えております。
今や東京駅から新幹線でわずか一時間余りでいとも簡単に軽井沢に日帰りで足をはこべるようになりました。
そのような時の変化で今となっては「今年もやっと軽井沢に来られた・・・、また来年も来られるように・・・その為に誠心誠意また仕事を頑張ろう」的な感が薄れてしまった事は事実ですネェ・・・。

先々週、軽井沢に行ってきました。
35年以上も前に撮った写真を持参し、軽井沢に行くと必ず立ち寄らせて頂く、何もかも全く昔のまま変わっていないオープンスペースのある老舗カフェのオーナーにいろいろとその頃の軽井沢のお話を聞かせて頂き、少しばかり嬉しい気持ちで帰路についた自分がおりました。(笑)

Re: 1970年後半~1980年代

  • みみこ
  • 2019/07/16 (Tue) 21:42:46
 
皆様こんばんは。
大林さん、お久しぶりです!
先週末まで滞在してきました。
軽井沢は、新幹線のホームに降り立ったときも、車を降りた時も
何とも言えない気持ちのいい空気が、胸の奥に広がります。
念願だった書店も復活して、ますます楽しみが広がりました。
皆様の書き込みを読んで、上信越道の無かったころを思い出しました。
時間が読めず、早く着きすぎて唯一開いている万平ホテルのコーヒーハウスで、ひたすらコーヒーをお代わりしながら(当時はお
代わりし放題)テニスコートのオープンするのをまっていたことなど、懐かしく思い出しました。

Re: 1970年後半~1980年代

  • 大林
  • 2019/07/18 (Thu) 16:38:35
皆さん。なくなってしまって、今となっては懐かしく思い出すというお店はたくさん思い浮かぶと思いますが、70年代からあって今も続いているというところも、少ないながら、ある意味で、軽井沢の思い出にとって貴重な存在ですね。

私の行ったことのある店で、ざっと思いつくままに書けば、新道では榮林、赤坂飯店、ル・レガラン、旧道では鳥勝(若鶏の丸焼きで有名)、ミカドコーヒー、神戸肉の藤田、大城レース(ここのハンカチ、ごく簡単な手渡しプレゼント用に、妻は毎年結構買って帰るようです)、わかどり(移転し、新装開店しましたが)、フランスベーカリー、デリカテッセン(レストランはなくなりましたが)などです。

ところで、古くはないですが、私のおすすめのスイーツをひとつ。それは雲場池にある「雲場亭」の「ブルーベリーアイスクリーム」です。甘さ控えめで、爽やかなブルーベリーとの相性も抜群、私は全然甘党ではないのですが、これは私にとっては別格です。最近は軽井沢に行ったとき、一度は必ず家族で訪れています。

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2019/07/18 (Thu) 17:42:27
皆様、こんにちは。

大林様が仰るとおり、数は少ないですが昔から続いているお店の中で私が好きなのは六本辻近くのCafe「ミハエル」です。
このお店に行くと私はホッとするというか、なんというか・・・。

お店の雰囲気もさることながら、メニューに関しても頑なに拘りを貫いているというか・・・。

他の店やその店の趣向が目まぐるしく入れ替わる中でいつまでも変わらない空間を感じられるのは大変、貴重な存在だと想います。
私にとって大変、大切な存在のお店です。
あとは旧軽銀座の入り口付近の青果店ぐらいかなぁと・・・。

それと非常に懐かしさを感じる写真をアップしているサイトを見かけました。なんだか、非常に複雑な想いが込み上げてまいりました。(下から1・2・3枚目の写真)

http://earthian.seesaa.net/archives/20080604-1.html

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2019/08/22 (Thu) 19:07:46
1980年初頭から中程までくらいの時期にレイクニュータウンの湖畔に存在していたショップはどんな感じだったか、記憶に残っておられる方、いらっしゃいましたら何でも結構ですので教えて頂けませんでしょうか・・・?
当時の記憶を呼び戻したいのですが・・・、三越のシュベルニー城とその対岸にあったリカルリドーというレストランがあった事とその近くにブルーシャトーという宿泊施設があった事はハッキリと覚えているのですが、それ以外は・・・、、

その当時のレイクニュータウンの雰囲気等も含めて語って頂ける方がいらっしゃれば嬉しいです。

何方かよろしくお願い致します。 m(__)m

Re: 1970年後半~1980年代

  • morisio
  • 2020/02/16 (Sun) 03:43:26
夜更かし大魔王様 初めまして。


私も当時の記憶を整理したくネット検索していたところ、こちらへたどり着きました。皆様まだ見ておられるでしょうか…。

私のような者が書いて良い所かどうか分かりませんが、当時の様子をなるべく鮮明なうちに誰かと共有したく思い

記憶が曖昧な部分も多々ありますが、なんとか思い出しながら書かせて頂きます。


私の父がレイクニュータウンに別荘用地を買ったのは私が小学校低学年だった1971年の秋頃でした。

別荘建築中の冬に「浅間山荘事件」があり、その年の夏から行き始めて毎年7~8月の内一ヶ月間程滞在しておりました。

初滞在の72年頃 レマン湖の周りは管理事務所以外には「ボーリング場」「水が大変冷たいプール」「学生向け?のロッジ」

「ブルーシャトーの旧館」「半月状に並んだ屋台群」「マルエツプチレベルの三越」「レンタサイクル」

「プロパンガス販売の中島商店」等があったと思います。

あちこちに道案内のトーテムポールが立っており、レマン湖周辺を巡回する馬車や、販売用別荘地を巡る案内バスもありました。

「こちらがあの浅間山荘でございます」と車内アナウンスがあり、みんな身を乗り出して見ていました。

湖には数隻のボートが浮かび、タウン内はとてもの~んびとりした雰囲気でした。

でも、お盆の時期には「ソン・エ・ルミエール」という派手な花火大会があり、その時だけはとても混雑していました。


次の73年頃は「らくやき屋」「ミルクシェイクの屋台」「マリオンクレープ」「数件の喫茶店」

「小規模のゲーセン」等が出来たくらいの変化でしたが、

74年頃 突如として巨大なお城「シュベルニー城」が出現し、急激に人が増え始めました。

1階に当時の高級レストラン「三笠会館」が入っており何度か食べに行ったのを覚えています。


次の75年頃以降は爆発的に発展し始め、年々急速に姿を変えていきました。何年にコレが出来た…等の詳細な部分は思い出せませんでした。

小綺麗な別荘が増え、湖の島に神殿めいた物が出来、湖畔には高級?ブティック「三越ファッションビレッジ」が並び、

草ぼうぼうの空き地と冷たいプールは綺麗に色分けされたテニスコートになっていきました。

更に「ブルーシャトーの新館」が建ち、ボーリング場は高そうなレストラン「アゼ・ル・リドー」に、

マルプチレベルの三越はお城っぽくそれぞれ建て替えられ、あの「アマンド」や「浅草むぎとろ」その他レストラン等が続々とオープン、

花火大会も 当時流行りの歌手(夏木マリと…あと誰でしたか…4組くらいいました)が来てステージで歌ったり、

水上ファッションショーを催すなどドンドン派手になっていきました。

湖周辺は馬車 巡回バスに加え、ゴリラマスク男が乗ったアマンドのピンク色の派手なオープンバスが走り回り、

湖面には多くのボート類が浮かぶようになりました。


80年代になる頃にはタウン内は初滞在当初からは想像も出来なかった程の人(当時の旧軽井沢銀座の八掛けくらい)で賑わい、

プライベート中の芸能人も多く見かけるようになりました。

夏季限定のイベント等もあり、滞在時期前から「今年は何があるんだろう…」とワクワクしていました。(特に何もない年もありましたが)

一番思い出に残っているのは「映画バー」(正式名失念)ですかねェ。

広い駐車場の一区画に映画をテーマにした簡易コンテナ店舗が6~7軒出来ていて、

それぞれ「スターウォーズ」「007」「愛と青春の旅立」(だったかなァ)等のテーマに沿った内装がされたバーになっていました。

メニューもそれぞれの映画に因んだネーミングがなされていて、

「学園祭の模擬店を大人が本気でやりました!」的なノリの大変楽しいイベントでした。

当時うちの別荘には 滞在中入れ代わり立ち代わり友人や親戚が遊びに来ていたのですが、皆さんに口々に

「お前ん家 こんなに楽しい所に別荘があってイイナ~」と言われ、とても誇らしかった思い出があります。


かく言う私はタウン内ではあまり遊ばず、お客様が来ない間は近くの森や田んぼで虫取りをしたり 自転車で旧軽井沢銀座まで行き

「ミカドのモカソフト」や「ちもとの焼き団子」を食べたり

「ソニープラザ」や「王様のアイディア」等の雑貨屋に入り浸ったりするのが好きでした。

当時はまだマックやケンタは店舗数が少なくファーストフードにあまり馴染みの無い時代でしたが、

フライドチキンやポテトをファーストフード的に売っている店もあり そこで買い食いするのも好きでしたね、店名は忘れてしまいましたが。

両親は紀伊ノ国屋で買い物したり「榮林」で細切り鶏肉そばを食べたり、「ミハエル」で一服するのが好きなようでした。


その後83年頃をピークに栄華を極めていたレイクニュータウンでしたが、85年頃から急速ににその勢いを失っていきました。

軽井沢全体はまだまだ勢いがあったのに、レイクニュータウンだけが寂れ始めました、「バブルの崩壊」を待たずに…。

原因は恐らく82年の「三越 岡田茂社長の解任事件」だと思います。

レイクに入れ上げていた岡田社長が解任され、方針転換をした三越自体がレイクへの投資を絞ったから…かと。


85~88年頃の3年程の間に、シュベルニー城の「三笠会館」は無くなり普通の婦人服売り場に…「アマンド」も「浅草むぎとろ」も無くなり

安っぽいラーメン屋に…。次年はそのラーメン屋すら無くなり、「アゼ・ル・リドー」はもぬけの殻、

おしゃれで煌びやかだったブティック群は歯抜け状態、人出も急激に減ってゆき、それはもう「転がり落ちる」ように寂れていきました。

87年頃からは海外旅行ブームや清里ブームに人が流れたからでしょうか、軽井沢全体も寂れ始めました。

そして89年には「マルプチレベルの三越」も無くなりました。「ツルヤ」へ行けば何でも買えるのですが、品ぞろえが悪くても

歩いて行ける三越は我が家にとって心理的ライフラインだったのです。


三越の閉店に明確な「滅び」を感じ、数々の輝かしい思い出の棄損を恐れた私は その年を最後に軽井沢へは行かなくなりました。

前年に亡くなった父の家業を継いだため長い休みが取れなくなった…というのもありましたが。


私が行かなくなった後も 毎年親戚や友人達を連れ別荘へ行き続けていた母から、レイクニュータウンの様子は聞いておりましたが

駅前にプリンスのアウトレットができた95年頃にはもうゴーストタウンのようになっていたようです。

それでも行き続けていた母も5年前に亡くなり 私がレイクの別荘を相続しましたが、

嫁が別荘向きの人間ではなかった(別荘なんぞ行っても家事をする自分は休めない!)ため用途が無いうえ、

維持費も年間20万以上掛かるため、やむなく売却してしまいました。(なかなか売れず苦労しましたが)

売却時、27年ぶりに訪れたレイクニュータウンは89年当時とは全く違った趣で、噂に聞いたブルーシャトーの廃墟も無く

美しい欧風庭園を湛え、高級感漂う落ち着いた良い別荘地になっていました。少々勿体ない気もしましたかねェ。


2020年現在 年齢や維持費 手間等を考えますと、もう新たに別荘を持つ事は無いでしょうが

懐かしい思い出溢れる軽井沢は今でも気になる大好きなリゾートです。


いかがでしたでしょうか。

少々私的な思い出話になりましたが、夜更かし大魔王様の思い出の補完に役立てて頂ければば幸いです。

長文お読み頂き有難うございました。

Re: 1970年後半~1980年代

  • morisio
  • 2020/02/16 (Sun) 10:10:05
P.S

長文になりそうでしたのでoutlookで作成し、それをコピペしたところ変な改行になってしまいました!読みづらくて申し訳ございません。

Re: 1970年後半~1980年代

  • morisio
  • 2020/02/17 (Mon) 00:56:04
少々訂正させて下さい。

シュベルニー城の「三笠会館」が無くなり普通の婦人服売り場になったのは85年以降ではなく80年代になる前、78年頃だったかも知れません。「三笠会館」自体は3~4年で無くなった気がします。
あと「浅草むぎとろ」が出来たのは70年代ではなく80年代初頭以降でした。
「映画バー」のテーマ映画も「愛と青春の旅立」ではなく「アラビアのロレンス」「サタデーナイトフィーバー」だった気がしてきました。

Re: 1970年後半~1980年代

  • ボギー
  • 2020/11/03 (Tue) 16:51:24
こんにちは。

偶然、この掲示板を見つけました。
懐かしくて落涙です。

当時の青春の思い出の写真をすべて紛失してしまったのですが、時々現在のレマン湖周辺に出没して、当時を懐かしんでいます。

私も、70年代末から80年代前半がいちばん思い出深い時期です。
それからも毎年軽井沢に訪れてますが、特にレマン湖周辺の変貌の早さには驚かされます。

でも、最近、少しずつ新しいお店が出来てますよ。
あのプリムローズも復活してます。
また、当時の賑わいが戻るといいですね。

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2021/11/13 (Sat) 18:16:17
久々の書き込みで恐縮です。

ここ最近はコロナの影響で外出を控えていたこともあり、軽井沢には足をはこんではおりませんが、やはりこの時期は独特の雰囲気があって魅力的なことと想います。

テレビの観光番組では続々と新しいお店や施設が紹介されておりますがそのような情報を得る度にますます自分にとっての良き時代の軽井沢が回顧してなりません・・・。。

Re: 1970年後半~1980年代

  • ボギー
  • 2021/12/29 (Wed) 13:10:38
同感です!

年を追うごとにあの時代の懐かしさが募ってきます。

引っ越しやらなんやらで相当量の写真を紛失してしまったのが、今さらながら悔やまれます。
可能であれば、当時の写真をお持ちの方々からご提供いただき、時系列で写真集を編纂して、みんなで郷愁に浸りたいですね(笑)

旧軽や新軽、中軽の写真はよく目に留まりますが、南軽、特にレマン湖周辺の写真はなかなか見当たりません・・・

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2022/04/07 (Thu) 20:23:32
懐かしい旧軽銀座のMAPを見つけてこの掲示板に投稿をしようと思ったのですが、画像の投稿のやり方が分かりません。
何方かレクチャーして頂けませんでしょうか!?   
きっと懐かしく思われる方も多く、楽しんで頂けるのではないかと…。。

1989年7月

  • HEAT2
  • 2022/07/07 (Thu) 10:23:28
レイクニュータウンを検索してましたところ、夜更かし大魔王様の記事にたどり着いた次第でございます。
当方、学生時代にレイクニュータウン内のホテルブルーシャトーにてアルバイトを経験した者でございます。
morisio様からの掲載記事を拝見致しまして、旧館と新館があったとは存じてませんでした。
建物はとても古く、管が破裂したまま部屋中が水浸しになった一部屋があったことを記憶してます。
仕事は、ベッドメイキングが主でしたが、たまに食器洗いを行うこともありました。しかし労働時間は8時間越えが常態化しており、今でいうブラックバイトの走りみたいな所でしたね。
食事は3食でてましたが、これがホテルの味なの????というぐらいの味付けでしたよ。
建物は3階か4階建だったような気がしますが、屋上からはあの浅間山荘を眺めることができました。
都会からもブルーシャトーにバイトに来られた方も沢山おり、仕事が終わると、ホテル向かいにありました社員寮で和気藹々と酒を酌み交わし、疲れ知らずの毎日を過ごしてました。
ちょうど、彼女にフラれ失恋をした時であり、そんな私の心の傷を癒し、忘れさせてくれた恩人の方もおりました。(今、どうされているのでしょうかね。)
断片的で、全くまとまりのない文章でございますが、私のひと夏の思い出でした。(また思い出しましたら、誠に恐縮でございますが、投稿致します。)

Re: 1970年後半~1980年代

  • 夜更かし大魔王
  • 2022/08/23 (Tue) 20:07:38
 

HEAT2様の書き込み、非常に興味深い話です。

「ホテルブルー・シャトー」、・・・非常に懐かしいです。
(宿泊経験があるものですから・・・(笑)

その時代のお話、もっと々、書込みして頂けると嬉しいです。
(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)